トリニ・ロペス(
Trinidad "Trini" Lpez III、
1937年5月13日 -
2020年8月11日)は、
アメリカ合衆国の歌手、
ギタリスト、俳優。1960年代、「
天使のハンマー」「
カンサス・シティ」「
レモン・トゥリー」「
グリーングリーン」などのフォークソングやヒット曲を陽気なチカーノ・ロック風にアレンジし、人気を博した。アメリカン・ポップス黄金時代を彩ったTRINI LOPEZ!! 63年、"IF I HAD A HAMMER (天使のハンマー)"で世界のシーンに彗星の如く登場したTRINI LOPEZ。以降、フォーク/ポップス・シンガーとしてソフトサウンディンなポップスでより広く知られる彼!! まさに目の前で演奏しているかのような臨場感!!
トリニ・ロペス Trini Lopez 1937年5月13日生まれ、米・テキサス州ダラス出身の歌手/ギタリスト。本名はトリニダード・ロペス3世。10代から音楽活動を始め、リーダー・バンドのザ・ビッグ・ビーツを経て、ソロ・デビュー。その後、フランク・シナトラ設立の〈リプリーズ〉と契約。63年のデビュー作『トリニ・ロペス・アットPJ's』が全米2位となると、シングル「天使のハンマー」も3週連続全米3位のヒットに。65年には「レモン・トゥリー」のカヴァーで人気を博し、「トゥゲザー」がヒットした67年に初来日。また、映画『特攻大作戦』にも出演。
テキサス州ダラスに生まれる。父親はメキシコ出身のミュージシャンのトリニダード・ロペス2世。ダラス近郊のリトル・メキシコのアッシュランド・ストリートで育った
[1]。
グラマースクールとN.R.クロージア技術高校に通うが、家族を養うために金を稼がねばならず、最終学年で退学した。
ロペスは15歳のときにテキサスのウィチタ・フォールズで最初のバンドを結成した。1958年、
バディ・ホリーの父親の推薦により、彼のグループ「ザ・ビッグ・ビーツ」はプロデューサーのノーマン・ペティの知遇を得る。ペティはコロムビア・レコードとの契約の手はずを整え、ザ・ビッグ・ビーツはインストゥルメンタル「Clark's Expedition」を発表した。その後グループを離れ、テキサスの地元のヴォルク・レコードから自作曲「The Right To Rock」を出しソロデビューを果たした。
1959年、キング・レコードに移るが、長い間鳴かず飛ばずであった。キングとの契約期限が切れ、1962年後半にプロデューサーのスナッフ・ギャレットから「ザ・クリケッツのボーカリストをやってみないか」という話が舞い込む。ロサンゼルスでオーディションを受けるも不合格。ロペスは
ウェスト・ハリウッドのサンタモニカ・ブールヴァードにあるナイトクラブ「P.J.'s」の専属歌手となる。聴衆はまたたく間に増え、ある日
フランク・シナトラがクラブを訪れ、ロペスの歌とギターを聴いた。その後、シナトラが1960年に設立した
リプリーズ・レコードと契約した
[2]。
「P.J.'s」で録音したライブ・アルバム『By Popular Demand More Trini Lopez At P.J.'s 』を矢継ぎ早に出すが
[6]、こちらもアルバムチャート11位を記録する。セカンド・アルバムには「メロンの気持」「
イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー」などが収録された。1963年に発売された2つのライブ・アルバムでは、のちにボブ・ディランとツアーを共にするミッキー・ジョーンズ(
Mickey Jones)がドラムを叩いている。
1967年公開の戦争映画『
特攻大作戦』に "The Dirty Dozen" の一人として出演し、主題歌「いばらの道(The Bramble Bush)」も担当した。
日本においては、上記の曲よりとりわけ、1965年、ドイツ語で歌われている「バイ・バイ・ブロンディ」(パリのオランピア劇場でのライヴ録音)や、1966年の「待っててシンディ」、1967年発表のテディ・ランダッツォ作品で、近年ソフト・ロックファンも再注目の「トゥゲザー」がヒットした。「トゥゲザー」発売のこの年には初来日し、東京厚生年金会館におけるステージは「ライヴ・イン・東京」というアルバムにもなっている。
1967年、イギリスのパイ・レコード・スタジオで、アルバム「イン・ロンドン」をレコーディング。「Gonna Get Along Without Ya' Now」等を収録。
1969年には、ボイス&ハートのプロデュースにより「The Whole Enchilada」を発表。また、同年、自身のTVショーを収録した「The Trini Lopez Show」(リプリーズ期のラストアルバム)を発表。このTVショーでは、女性歌手の
ナンシー・エイムズや、同年「
Hawaii Five-O」が大ヒットした(全米4位)
ベンチャーズと共演している(リード・ギタリストの
ジェリー・マギーは、ベンチャーズ加入以前にロペスの「Hall Of Fame」(1966年)等のレコーディングにも参加している)。
1970年以降はレーベルを転々としながらも、音楽活動を精力的に続けていた。
1975年、来日公演。
1964年からは、ギブソン社から自身のシグネチャーモデルのギターが発売された。製造は1964年から1970年までと短期間であったが、独特のルックスに魅了されたミュージシャンが多く、
デイヴ・グロールや
ノエル・ギャラガーが愛用したことで、ロックファンにはお馴染みのモデルとなり、度々復刻されている。